祖父が込めた”もの”

Story

「亡くなってから知る」ということ

 

「〇〇は〇〇な人だった」

 

この言葉は、人が亡くなったときにしか使われない。

生きている間は、そこにいるのが当たり前で、

別れなんて想像すらしていなかった。

 

だからこそ、別れて初めて言える。

 

祖父は偉大な人だった。

 

祖父の人生を初めて知った日

 

葬式の日、母に祖父のことを聞いた。

 

30年もの間銀行で働き、

登山が好きで、世界中の山に登って救助活動もしていたらしい。

 

祖父の家に飾られていた写真の意味を、そのとき初めて理解した。

 

今までは、なんとなくお金があって遊び歩いている人だなあと思っていた。

 

当たり前じゃなかった思い出

 

山好きから購入した長野の別荘、囲炉裏、白樺の高原。

 

何度か連れて行ってもらったあの場所も、

今思えば、当たり前じゃない体験だった。

 

”昭和のおやじ”みたいな人

 

子供の頃の祖父は、いつも頭をワシワシしてくる人だった。

 

いつも笑顔で、頑固で、わがまま。

いわゆる“昭和の親父”みたいな人。

 

でも、不思議と厳しさはなかった。

 

むしろ、誰よりも僕を褒めてくれて、

やりたいことは全部応援してくれた。

 

何度も言われた言葉

 

そんな祖父が、何度も言っていた言葉がある。

 

「海外留学に行け。お金はいくらでも出す」

 

当時の僕は、まったく興味がなかった。

怖いし、面倒くさいと思っていた。

 

でも今ならわかる。

 

祖父は、自分が経験した“人生を変える体験”を、

僕にも味わってほしかったんだと思う。

 

すれ違ったタイミング

 

僕が海外に興味を持ち始めた頃、

祖父はもう、話せる状態ではなかった。

 

大学3年のとき、認知症が進行した。

 

施設に入る話が出たときも、祖父はそれを強く拒んだ。

最終的に、専門の医療機関で過ごすことになった。

 

この話を知ったのは、祖父が亡くなった後だった。

 

家族は、大学で離れて暮らす僕に心配をかけないように黙っていたらしい。

 

最後の時間

 

祖父はその後、体調を崩し、

ほとんど意識のない状態で過ごす時間が続いた。

 

僕が最後に会ったのは、亡くなる1年前。

 

酸素マスクをつけ、

コロナの影響で、画面越しで20分だけ。

 

もう、会話はできなかった。

 

別れ

 

その後、僕が地元に帰っているとき、

祖父は静かに息を引き取った。

 

久しぶりに対面した祖父は、

ただ布団の上で眠っているようだった。

 

そっと手を握った。

 

もう、あの手で頭をワシワシされることはない。

 

あの言葉の本当の意味

 

後日、祖父の通帳が見つかった。

 

認知症が進行するその直前まで、

毎月、欠かさず積み立てがされていた。

 

何のためのお金だったのか、

今ならわかる気がする。

 

あのとき何度も言われた言葉。

 

「海外留学に行け。お金はいくらでも出す」

 

あの言葉は、冗談なんかじゃなかった。

 

祖父は本気で、

僕の未来に投資してくれていた。

 

祖父は偉大な人だった。

 

祖父が残してくれたもの

 

でもそれは、亡くなったから思うんじゃない。

 

生きている間に、もっと知りたかった。

もっと話したかった。

 

そして今、思う。

 

この”思い”を、

ただの“お金”で終わらせるわけにはいかない。

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