「亡くなってから知る」ということ
「〇〇は〇〇な人だった」
この言葉は、人が亡くなったときにしか使われない。
生きている間は、そこにいるのが当たり前で、
別れなんて想像すらしていなかった。
だからこそ、別れて初めて言える。
祖父は偉大な人だった。
”昭和のおやじ”みたいな人
子供の頃の僕にとって祖父は、特別な存在ではなかった。
いつも笑っていて、頑固で、わがまま。
いわゆる“昭和の親父”みたいな人。
でも、不思議と厳しさはなかった。
会うたびに、
大きな手で頭をワシワシしてくる。
子供ながらに「またか」と思っていたけれど、
今思えばその時間も手もとても温かかった。
誰よりも僕を褒めてくれて、
やりたいことは全部応援してくれた。
勉強でも、部活でも、日常的なことでも。
否定された記憶がほとんどない。
これと言ってやりたいことが明確にあったわけではないが、
サッカーに興味を持ち中学の部活に入る話をしたときは
「じゃあ一緒に選んでやる」といいスパイクやバッグを一緒に選びに行ってくれたり近くの公園で練習に付き合ってくれたりしてくれた。
今思うと、
応援される安心感を最初にくれたのは祖父だったのかもしれない。
「なんでこの人こんなにお金あるんだろう」
子供の頃、
祖父のことを正直よくわかっていなかった。
山好きなのはなんとなく聞いていたが
長野に別荘を持っていて、
そこには囲炉裏やまわりは無数の白樺で囲まれている。
夏には必ず家族で行き、釣りでゲットしたニジマスを串にさして焼いたりハンモックにぶら下がりながらゆらゆらしたり野生の動物に遭遇したりもした。
何度か連れて行ってもらったあの場所も、
今思えば、当たり前じゃない体験だった。
旅行にもよくひとりで行っていて
家には海外の写真がたくさん飾られていた。
祖父の家に遊びに行き
「じいじは?」と祖母に聞くと
「じいじは今ヨーロッパなの。来週くらいには帰ってくるって言ってたかな。」
とこんな会話を何回かしたことを覚えている。
子供ながらに僕は
「なんかお金があって、遊び歩いている人」くらいに思っていた。
同時に
「年を取ったらいっぱいお金もらえるのかな。」とも思った。
でも、実際にそれは違った。
祖父の人生を初めて知った日
葬式の日、母に祖父のことを聞いた。
30年以上銀行で働いていたらしい。
多くの会社に出向き指導も行っていたという。
登山が好きで、世界中の山に登っていた。
さらには、今ではもうだめらしいが、救助活動も行っていたらしい。
たしかに祖父の家にはアルプスやエベレストなどのテレビでしか見ない山の写真と登山家の格好をした祖父が映った写真が多く飾られていた。
それらの写真の意味を、そのとき初めて理解した。
全部人生を本気で生きてきた証だった。
何度も言われた言葉
そんな祖父が、生前僕に何度も言っていた言葉がある。
「海外留学に行け。お金はいくらでも出す」
当時の僕は、その意味を全く理解できなかった。
海外なんて怖い。
興味もない。
正直めんどうくさい。
だから空返事をしていたと思う。
「なんでそんなに勧めるんだろう。」
でも今ならわかる。
祖父はきっと、自分の世界が広がった経験“を、
僕にも味わってほしかったんだと思う。
知らない場所に行くこと。
新しい価値観に触れること。
日本では当たり前の常識が全く通用しないこと。
祖父自身がそういう体験をしてきたからこそ、僕にも勧めてきたんだと思う。
あの言葉は
ただの「旅行に行け」ではなく
「もっと広く世界を見ろ。」
そんなメッセージだったと今では思う。
すれ違ったタイミング
僕が海外に興味を持ち始めた頃、
祖父はもう、話せる状態ではなかった。
大学3年のとき、認知症が進行した。
施設に入る話も出たけれど、祖父はそれを強く拒んだらしい。
最終的に、専門の医療機関で過ごすことになった。
でもこのことを僕は知らなかった。
この話を知ったのは、祖父が亡くなった後だった。
叔母から聞いた。
家族は、
大学で離れて暮らす僕に余計な心配をかけないように黙っていたらしい。
最後の20分
祖父はその後、さらに体調を崩し、
ほとんど意識のない状態で過ごす時間が続いた。
僕が最後に会ったのは、亡くなる1年前。
酸素マスクをつけ、ベッドで横になっていた。
コロナ禍であったこともあり、面会は画面越しで20分だけ。
もう、会話はできなかった。
何を考えているかもわからない。
画面の向こうにいる祖父をずっとは見れなかった。
「もう先は長くないな」と思い泣きそうになった。
別れ
その後、僕が地元に帰省しているタイミングで、
祖父は静かに息を引き取った。
久しぶりに対面した祖父は、
ただ布団の上で眠っているだけのようだった。
やせ焦げ、とても健康的とは言えない。
もう動くことはない。
そっと手を握った。冷たかった。
もう、あの大きな手で頭をワシワシされることはなかった。
あの言葉の本当の意味
後日、
祖父の通帳が見つかった。
僕の名義だった。
金額を見て驚きよりも先に涙が止まらなくなった。
認知症が進行するその直前まで、
毎月、欠かさず積み立てをしていた記録が残っていた。
何のためのお金なのか、
今ならわかる気がする。
あのとき何度も言われた言葉。
「海外留学に行け。お金はいくらでも出す」
あの言葉は、冗談なんかじゃなかった。
祖父は本気で、
僕の未来に投資しようとしてくれていた。
自分のためじゃない。
孫である僕がもっと広い世界を見られるように。
もっと可能性を増やせるように。
祖父が残してくれたもの
祖父は偉大な人だった。
でもそれは、亡くなったから思うんじゃない。
生きている間に、もっと知りたかった。
もっと話したかった。
どんな景色を見てきたのか。
そこで何を感じたのか。
なぜそこまで海外を勧めていたのか。
祖父のおすすめの国はどこなのか。
聞きたいことは今になってどんどん増えていく。
祖父が残したものはお金であるがそれだけではない。
「経験にこそ価値がある」という考え方。
行ってもない、やってもないのに語るなということ。
そして、
”未来に投資をする”という生き方だった。
今の僕が思うこと
だから今、僕は思う。
この”思い”を、
ただの「遺産」で終わらせたくない。
祖父が見せたかった景色、世界を
今度は自分の目で見てみたい。
そしていつか、自分も誰かに、
「やりたいことをやれ。」
と背中を押せる人でありたい。
自分が目にしてきたこと、体験したものすべて語ってあげられる人生でありたいと強く思う。
祖父と僕がなしえなかったこと。今では、祖父の体験は写真の中でしかわからない。
あの世で再会したとき、「こんな体験してさ・・・」と笑顔で話せるように人生を生きていくと決めた。


